2019年
8月
30日
金
雨をこんな風に撮れるとは想像にもしなかった。倉庫をたたきつけている激しい降り。斜めの線が勢いの強さを表しているようにも見えます。
こちらは雨が止んだ後、バラの枝にできた雫。
昨日の雨はまた多くの被害をもたらしたようです。降ったりやんだり。私の実家は乙仲西区。小中学校の頃は須恵川の氾濫で2年に1度は床上、床下浸水をしていたような覚えがあります。だから水害には心が騒ぎます。どうぞ、被害がこれ以上広まりませんように。
習っているカメラ講座の復習のつもりで撮った写真です。それぞれの瞬間を切り取ることが実態の勢いを伝えたり、またこんなにも美しいになるとは。予想外の喜びです。
2019年
8月
27日
火
研修会「インクルーシブ」ってなあに? が終わりました。
私の夏も終わったようなさわやかな気持ちです。
今回「インクルーシブ」というテーマで研修会を開きましたが、その概念の実行はとても難しいのではと思われます。良いと分かっていても、環境を整えるには多額の予算が要るので、多くの教育・自治体関係者は躊躇、言葉を濁します。
粕屋町は障がい児教育に力を入れ、特別支援学級の在籍人数は県内トップです。令和元年の4小学校の通常学級児童数は全体で3226名、特別支援学級在籍数は326名です。
10%の小学生が特別支援学級に在籍していることになります。人口が増え、それに従ってこのまま支援学級を増やしていいものか、また増やせるものなのか、または、別の道もあるのではという観点から今回の研修会を開きました。
講師はお二人、そのテーマは
服部美江子さんは重度の障害を持った方の保護者で「認定NPO法人障がい者より良い暮らしネットの」代表、神村先生は現役の福岡市の小学校の先生。障害児教育の資格を持っておられ、当時の養護学校、また現在は普通学級の担任、そして特別支援級を受け持たれた経験もおありです。
お二人は様々な具体的な事例を通してテーマに沿ったお話をしてくださいました。それは経験者だけが持つ強い確信に満ちた言葉の数々でした。
質疑応答も活発で、それぞれお話しに30分、質疑応答10分、それを2回、最後に全体としての意見交換に40分近く取りました。参加者が話す時間を多く取りたいという気持ちもあっての時間配分でしたが、それでも足りないくらいでした。結果的に講師の講演時間併せて60分、質疑、意見交換に60分という内容になりました。
参加者25名。感想、今後の取り組みアンケート15枚。様々な団体からの参加もあり今後の粕屋町の方向性へも話が進みました。
最後は大空小学校のドキュメント映画「みんなの学校」の上映会を粕屋町でもという意見まで出ました。講師のお二人の進めもあり、これは検討すべきと思いました。
たくさんの事例、たくさんの考え方、そして先進自治体、先進国の事例も学び合い、粕屋町の進むべき道のヒントを見つけたいと思わされた有意義な2時間でした。
2019年
8月
23日
金
昨日お伝えした研修会「インクルーシブってなあに?」の、最終的に行き着く先のイメージは No child will be left behind かな?
またchild を one に置き換えたらすべての人対象になるのかな?と思ったりして研修会の準備を進めています。
「だれひとり置き去りにしない」 こんな意味でしょうか?
この時期研修会の開催はとても難しかったですね。でも講師のおひとりが現役先生なので夏休みを望まれてこの日程になりました。子どもたちは27日から登校日。最後の日曜日で各家庭はいろんな意味で大変だろうな、と思いつつ声掛けをしています。
興味を持っておられる方のお話は間口が広くとてもまとめることはできません。それぞれの立場でいろんな葛藤があるようです。
それを踏まえた上で粕屋町の目指す方向性を打ち出す内容になればと思い模索しましたが、これまたとても困難。インターネットでもいろんな場所にアクセス。そうした中でピーンと来たのがこのタイトル。
あくまで研修会当日の皆さんの声を集約したうえでのまとめになりますが、イメージがあった方が準備がし易い。これならいけるかな?!
そんなことを考えながら今日も準備に邁進します。
2019年
8月
21日
水
昨年からあたためていた企画がやっと実現します。障がい児保育・教育に関する研修会です。
講師は「ふくおか子ども白書2018版」から見つけて問い合わせ、直接電話してお願いしました。認定NPO法人 障がい者より良い暮らしネットでは福岡インクルーシブ教育研究会という部門を立ち上げて、そこからの投稿が目に入ったのです。
障がい児保育・教育という内容の講師・テーマを見つけるのはなかなか容易ではありませんでした。様々な障害を持っておられる方、年齢層も未就学児から15歳までの幅広い方たちへの支援を粕屋町としてはどうするか、またその後の人生のサポートについても言及しなければなりません。
粕屋町では各小中学校の特別支援学級の割合がとても高く、手厚いと言われる支援と言われるけれど、今後それをどのように展開していくのか、指針がはっきりしません。
そういったことを網羅しながら今後のことを「インクルーシブ」という言葉をキーワードにして研修、意見交換をすれば何が見えてくるのではないかと企画しました。
講師謝礼他経費は昨年の文化祭バザーの収益金で賄うことができましたので無料です。興味のある方はどなたでも大歓迎。参加をお待ちします。
粕屋町が進もうとしている「5万人のまちづくり」の一環となればいいなと思っています、
2019年
8月
20日
火
18日に引き続き、19日も子どもたちの行事のボランティアとしての参加報告です。
住んでる行政区で5年前に公民館を地域の子どもの身近な場所に、と同僚議員を誘って始めた細やかな事業を、時の区長さんが介護福祉課の元気高齢者事業に手を上げてくれました。
老人会と子ども会をつなげる「うておうて塾」としての再出発です。子ども会と老人会の方が中心となり、私たちはお手伝い。ところが今私たちはその老人会の一員!
夏休み工作教室の募集という形での呼びかけですが、これは私のアイディアで色紙に俳句・絵を組み合わせる内容にしています。
色紙は子どもは使ったことがないだろうと思い、また俳句は小学生の授業でも学び、気軽に誰でもできる「詩」ということで、そこに地域の俳画・書道の先生、ちぎり絵の先生が講師として子どもたちにいろいろ教えてくださることになったという次第です。
その教え方にとても感じ入っています。子どもたちにきちんと向き合い、子どもたちの感性を刺激し、それを上手に一つの作品ができるように仕向けてくださるのです。
何のお手伝いもしないので、最初はできるのだろうかと不安になりますが、季語になりそうないくつかの言葉をキーワードにして子どもたちは夏休みの体験を語り始め、それをワークシートに書き並べて組み合わせ、5・7・5にするのです。
指で数えるしぐさで組み立てる頃から子どもたちは勢いづいて自分の世界へ。俳句を作ったら今後は添える絵ですが、ここで和紙が大きな働きをします。その色、感触、ちぎれた後の和紙の形が子どもたちの感性を揺さぶり、もう止められません。
もちろん絵の具を使ったり、色ペンで書く子もいます。その上、消しゴムで作った(子ども会のお世話をしてくださる方作成の、子どもたちが作っている間の同時進行)、赤いインクの自分の頭文字の印を押してもらって出来上がり。それもお土産、年賀状にも使えるよという言葉を添えて。
自分の作品を意気揚々として持って帰る子どもたちの姿に、心細い思いで始めた当初の思いがよみがえって、その小さな試みがこんな形で続いていくことに不思議さを感じています。
老人会と子ども会と区の役員の皆さん、そして地域の公民館、その公民館を中心に地域の居場所づくりの一つの形で、子どもを囲んでのみんなをつなぐ事業となっています。そしてそれぞれが輝いています。嬉しい一日でした。
2019年
8月
19日
月
参加者は大人、子ども併せて150名以上でした。柚須文化センター全館借り切っての開催。またこの施設はこのような催しにはとても適した施設だと感心しました。
食堂のおばさんのつもりで参加しましたが受付を任され、結局あっちこっちへ。楽しかったです。
子どもたちが作った味噌玉にお湯を注ぐだけのお味噌汁。これがのどを潤し、暑さもどっかに行ってしまいました。ガス窯で炊いたご飯もとてもおいしいと好評。おにぎりは自分が食べたいものを食べたかしこ(?!)にぎります。子どもが切ったたくわんはちょっと分厚かったのですが、おにぎりがさらにおいしくなりましたよ!
協働のまちづくり課の助成を受けての開催で、西小学校の校長先生、教育相談室の先生、福祉協議会の職員の方も仕事を離れて参加。その方たちとの語らい、またボランティアさんとの語らい、子どものまっすぐな目、得心の表情と笑顔。
どれもが素晴らしく、スタッフやまちづくり課の職員の皆さんの努力が実っているなと、このまちづくり助成金の事業の果たす、つどい・絆つくりに「いいね!」を送ります。
2019年
8月
15日
木
11日のこのブログで戦争の生き残りであることをなぜ恥じるのか、なぜ投降して捕虜になるくらいなら死んだ方がましと自決されたのか不明だと書きましたが、少しわかったことがあるので紹介します。「戦陣訓」に一つの手がかりがありました。この写真は札幌市バーチャル平和資料館のもので、札幌市相澤祥子氏提供とあります。
この戦陣訓の中に「生きて捕囚の辱めを受けず」という言葉があり、その教えを徹底的に畳み込まれた軍人や軍属の存在により多くの人が自決、自死、または死を強要されたようです。
東条英機による戦陣訓ということが一般的に言われますが、この軍人の行動規範が生まれるまでには様々の説があるようで、ウィキペディアによると、結果的に時の陸軍大臣であった東条英機によって発布された、ということのようです。
第2次世界大戦で亡くなった日本人310万人の中には終戦前後に亡くなった方人が多いと聞いています。ということは戦場での闘いだけでなく、飢えと病気と、そしてこの行動規範による縛りで亡くなった方が多いのではと推測されます。
もしかしたら落とさなくてもよかった「命」、残念でたまりません。
2018年6月10日付け西日本新聞の「時代の斜め読み」というコラムに永田健氏が、「大脱走」と「ひめゆりの塔」という2つの映画を比較して、捕虜に対する考え方の相違をこの「戦陣訓」引き合いに出して説明されています。とても興味深いので紹介します。少し長いですがわかりやすいのでクリックしてみてください。こちら →
また併せてウィキペディアの「戦陣訓」も紹介します。こちら → 更に長い文章ですが、このウィキペディアの記述の最後の方に真実があるような気がしているのでそこを引用します。
当時の陸海軍の軍法においては、「敵ニ奔リタル者」を罰する逃亡罪[31]や、指揮官が部隊を率いて投降することを罰する辱職罪の規定[32]が存在した。他方、捕虜となることそのものを禁止したり捕虜となった者を処罰するような条文は存在せず、軍法において捕虜となる権利が否定されることは無かった。事実、当時の大日本帝国憲法下の司法制度においても戦陣訓はあくまでも軍法に反しない解釈が行われなければ違法行為になってしまうため、軍法で認められている捕虜の権利を否定する解釈は違法判断になるはずである。
しかし、戦陣訓は勅命と解釈されたため、立法機関によって制定された軍法が上位の存在であることが明白であったにもかかわらず、実質的には戦陣訓が軍法よりも上位であるかのように扱われた。 このため、戦陣訓が一つの行政組織にすぎない陸軍の通達であったにもかかわらず、当時の軍部にはそのような法制度の認識は無かった。結果、捕虜交換などによって捕虜となった者が帰ってきても、軍法会議は一切開かれることは無く、軍の判断によって自決が強要されたり、スパイ容疑をかけられたり、軍規違反を犯したなどの理由によって秘密裏に殺害された捕虜は相当な数に上った[要出典]。
今日は終戦記念日ですが、韓国では独立記念日となっています。初めてそのことを聞いたときは意外に思われましたが、よく考えればそうです。私たちは太平洋戦争でのアメリカとの関係ばかりを重視し、原爆投下の被害者として受け止めていますが、お隣の韓国では日本の植民地支配が終わった解放を記念する日なのでした。
戦後74年経った今でも東南アジアや日本軍の戦場となった場所での遺骨収集、シベリア抑留についてなど多くの課題が残っている日本の戦後処理。平和を貫くために何から手を付けて良いかわかりませんが、今日15日を命の尊さを学ぶ日にしたいと思っています。
2019年
8月
11日
日
昨日、戦争で生き残った方の話がテレビ放送でありました。「巨大戦艦・大和 乗組員の証言」という番組でした。途中からしか見てないので全体の感想はとても述べられませんが、「生き残り」ということをキーワードにして私の今の思いを述べてみます。
どうしても解せないのは,生き残ったということを本人、家族が「恥」だと捉え、苦悩してある姿でした。死んだ戦友に申し訳ないという気持ちで一杯のようですが、日本という国は一般の戦兵に死ぬまで戦うことを強要し、死を覚悟した戦いを礼賛、徹底的に畳み込ませたようですね。だから投降をして捕虜になるくらいなら自死する方がましと命を絶たれた方がたくさんいらっしゃるという話を別の番組で聞いています。
今の私たちには想像がつかない戦前の国全体の空気なのでしょうね。国のため、家族のために戦いに出向いた人が、国は敗れたけれども無事帰国できたことを喜べない社会。むしろ生き残ったことを恥としてひっそり生きている、逆に自分の闘い方の不十分さを悔やんでおられる風なのです。
まわりが喜んでくれたらそんな風に思わず胸を張って生きていけるのですが、その喜んでくれるはずのまわりから責められる、こんなにキツイことはないでしょうね。
戦争も、原爆投下も責められなければならないのですが、私はこういう「命の軽視」「人の命より国の利益が優先する」そんな社会にならない努力をしなければと考えています。
どんな場合も命さえあればなんとかなる、人の命、思い、を最優先にし毎日を丁寧に生きる、ダメなことはだめだと声を上げる、人を貶めない、生き物の命を守る。
日々そのようなことに向き合うことは勇気のいることですが、私が今の生活でできる1つの闘い方です。戦後74年、様々な問題をはらみ、幸福度は低く自殺者の多い、引きこもりの多いこの日本という社会。まずは今生きていることを喜び、現実を直視して、まっすぐに生きたい。そして命あることの喜びを多くの友と分かち合いたい。
2019年
8月
09日
金
8月7日の毎日新聞の記事です。
今、日韓関係が非常に厳しい時なのであえてこの記事で韓国という国の別の一面がわかればと思い、紹介することにしました。韓国では学校給食に有機又は無農薬栽培による「親環境農産物」が積極的に使われている、学校給食用の食材の6割がこの農産物だという報告です。当然農業の無農薬・減農薬栽培、有機化が進んでいるということになると思います。
キーワードは2つ
①学校給食の無償化
②農産物の有機又は無農薬栽培
①の無償化に関して農林水産省では学校給食に限定し、有機農産物の供給量を増やすような支援策は行っていないので、現在国からの補助はなく自治体独自の政策となります。全部粕屋町負担となれば、現在小・中学校の給食費は私会計で総額2億円規模なのでその予算が必要です。これを教育委員会が全額負担するのはとても厳しく、現在での実践は難しいと思われます。
韓国の場合、給食の無償化は国レベルで進んでおり、それに有機又は無農薬栽培による「親環境農産物」が積極的に使われているという報告です。
②の農産物の有機又は無農薬栽培に関して韓国の場合は、増え続ける安価の農作物との差別化を図ろうと1997年に親環境農業育成法を制定。政府主導で生産振興を図りましたが供給が需要を上回りダブついていたところ、学校給食にこの新環境農産物を使う自治体が増えたことで需要低迷に風穴を開けたとあります。
日本でも自校方式で地域の農産物を食材に使うところがあり、そこは当然、有機又は無農薬、減農薬栽培の食材を使っていると思いますが、数は全体の6%ということです。
この新聞記事を執筆された農業ジャーナリストの青山浩子さんは韓国では2018年の選挙の際にこの問題が大きな争点となったと書いて、日本の場合、さきの参議院選で農業や食が全くと言っていいほど争点にならなかったということを対比し、うらやましくもあると述べておられます。
私は持続可能な開発のための目標(SDGs)を考えた時に、環境、食、教育という観点からもう少しこれら2つの課題(学校給食、農産物の無農薬栽培)に焦点が集ってもいいのではないかと思いました。
そういう意味で韓国のこの取り組みはすばらしく、教育施策が国の方向に好循環を与えている例と感じました。世界でも、特に北欧、イタリアは無償化の動きは進んでいるようです。韓国から学べるところは学びたいなと思いました。
給食センター建設問題で、廃棄物処理にこだわるのもありでしょうが、次のステップとして給食の「質」ということも視野に入れて考えていかねばと思わされた次第です。
2019年
8月
05日
月
ベランダのすぐ下に鉢を置いているので、黒蝶(?)に気づき、慌てて望遠レンズを装着して撮りました。その間、実に優雅にゆっくり足と羽でリズムを取りながら蜜を吸っていました。
私は連日の外出、特に夜の会合が続きちょっとダウン気味で昼寝をしていました。やおら寝ぼけ眼のぼんやりとした眼に入ってきた驚きの光景。これはとらないわけにはいきません。ぼーっとした頭が急回転。
良かったです。うまく撮れて。
デジカメ講座の中村先生にも見てもらいます。4月から通っていてまだ数回の受講ですが、基本を教えてもらっているので慌てません。良いシャッターチャンスに遭遇しました!
これは同じく昨日の朝とったアゲハチョウです。
比べてみるとやはり上の写真の方が迫力ありますね。被写体のおかげです。
玄関前のシダの葉にもう1週間以上もぶら下がっているセミの抜け殻。
脱皮してもセミの命はとても短い。せめて抜け殻だけでもそーっとしておこうと思っています。
セミの鳴き声は夏の風物詩のトップ。少々うるさくても我慢します。