2018年

6月

05日

伏せられていた病歴

 粕屋町議会では今一般質問が行われている。脳梗塞を患って3月議会を休んだ町長も今回は回復し、議員の質問に答えておられる。今日は昨日の私の一般質問の内容を書こうと思っていたが、ある事実が判明したのでそれを中心にお伝えする。

 

 実は池田前副町長のやめ方が不可解で、様々な憶測が飛んでいた。

 

 私たち議員が聞かされていたことは、池田前副町長は1月21日に夫人を伴って入院中の町長に面会を求め、辞職願を出されたという。退院するまで何とか待ってくれと町長は慰留されたが、「命が危ない」とかたくなに拒否され、仕方なしに辞職届を受理せざるを得なかったとのこと。

 

 その21日の午前中は教育長と一緒に柚須の文化センターに来賓として出席され、またその2日前の金曜日まではいつも通りに仕事をしておられたもよう。周囲の者は突然の辞職にただびっくりするばかりだったという。もちろん仕事の引継ぎもなかったし、その後役場には出て来ていないという。

 

 議会でも突然の辞職にというより新聞報道の方が早く、「無責任だ」という声が出ていた。担当だった給食センターの和解案について答弁をする人が誰もいない状態で2月の臨時議会が開かれた。私は説明不足と議案に反対した。和解案は成立したが、多くの議員はすっきりしないものを感じていた。

 

 今日の同僚議員の質問に町長は池田前副町長の病歴のことを初めて告げられた。前の職場で定年5年前に退職、それは脳梗塞と心筋梗塞が原因だったとのこと。昨年6月副町長就任時には病気を疑う議員もいたが町長は問題なしと過去の病気については言及されず、伏せておられたのである。健康診断書が必要だという一部議員の声も無視したまま。

 

 就任後7ヶ月で、町長が入院中に定かな説明もなく退職。任期3年半を残して、結果的には給料も含めて930万円ほどの経費と退職組合から100万円相当の退職金を受け取られている。  町長の任命責任は重いが、問題は町長自身がみんなに迷惑はかけていないと昨日の答弁で応えられたことだ。

 

 私にはこの認識のあり様の方が組織のトップとして、町長としていかがなものかと心が重くなっている。

 

 

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2018年

6月

07日

公文書管理と事務事業

 一般質問3日目。同僚議員の質問ので「公文書の保管の問題」というのがとても興味深かった。彼の質問の意図は柚須文化センターの設計図の保存についてが主だったのですが、池田前副町長の仕事が公文書としてどのように残されているのかという問題にも及びました。とてもいい視点でした。

 

 意識改革と称して職員215名あまりに出先機関や副町長室で面談をされている。その内容他他の文書の保管はどうなっているのか、個人情報の流失の懸念はないのかという問いでした。

 

 それに対する町長の応えは「病気が回復していないのでわかりません。よくなって確認します」というものでした。

 

 今回の町長の答弁では質問と答えがかみ合わなかったりすることがあったりでびっくりすることも多かったのですが、この内容には正直驚いています。

 

 同僚議員はそれ以上の追及はされませんでした。

 

 また別の議員は給食センタ―の件で池田前副町長が東京でSPCの代表の東洋食品と交渉されていますが、単独で会われたこともあるようなのでどのように報告されたたのかを問うと同じような内容でした。

 

 2つの問題点があります。

 ・病気なのでまだ確認できていないという答弁が一般質問の町長自身の答弁として通るの 

  か。

 ・事務文書が存在しているのか、きちんと文書で報告を町長、あるいは事務方に残すよう

  な仕事の仕方をされたのか。

 

 池田前副町長はは何の引き継ぎもしないで突然退職をしている、したがって何もわかりませんと2月臨時議会、3月議会で執行部側は答弁しています。そのために今6月議会で町長の任命責任を問う内容が多かったのです。彼を登用するときに、また退職するときに仕事上得た情報が流失しないように誓約書を交わされたのか、罰則規定はあるのか、その対応をしたうえでの辞職願受理なのか、その辺が急に心配になってきました。

 

 前回書いているように、健康診断書の提出すらなかったようなので、ここは議会からその詳細についての報告を求めなければならないと思っています。

 

 またそれ以上に粕屋町役場の事務事業の在り方が心配になり、個人的に職員に尋ねてみました。それぞれの各部署で、その部署によって差はあるでしょうが、復命書、報告書の公文書としての管理はしているようですが、これも公文書規程を見て調査をしなければならないと感じた次第。

 

 そこで思い出すのが、給食センタ―の残土処理の問題です。前町長と前教育委員会次長との間では、当初529万円の処理費がいつの間にか8000万円にまでつりあがり、当時のことは「報告した」、「聞いていない」、「知らなかった」で終始しているのです。口頭による報告だけで、交渉記録事務文書として残っていないことが判明し大問題となった経緯があります。

 

 今町長はその一連のことを追及している立場なのですが、自分自身が同じような仕事の仕方を池田前副町長とされていたのではないか、そういう疑問がふつふつと湧き上がってきました。

 

 

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2018年

6月

09日

モーリス・ユトリロというバラ

 素敵な薔薇でしょう。夫が今年の2月に接ぎ木をしたのが2,3日前に1輪咲きました。私は絞りの花弁が好きでほかにもいくつか持っているのですが、フランスのデルバール社には「ペインターシリーズ」というくくりで絞りのバラがたくさんあります。例えば、クロード・モネ、マルク・シャガール、エドガー・ドガ、ポール・セザンヌなどです。このユトリロもその1つです。

 

 今日はバラの栽培講座に参加してきました。講師は桃崎晧邦氏。福岡市立植物園のバラ栽培の講師をされている方で、千葉大学の園芸学部のご出身。お話は理論的、生物学的、それなのにテレビ講師のご経験からとても分かりやすく、聞きやすい内容でした。お耳が少し遠いということで奥様が通訳しますと、ご一緒してくださいました。

 

 テーマは「花後の手入れ」。梅雨は秋バラを咲かせるのに最も大切な時期。葉を落とさないことが株を充実させることになるからです。黒点病や、うどんこ病など。葉の生育期は虫の生育期でもあり、その幼虫が若葉を好んで食べる時期でもあるので防御をとの説明。

 

 会場はサンレイクマルチメディア室。43名の参加者。熱心な質問に丁寧に応えられその時間も40分以上、時間延長の費用が必要になるほどでした。写真ではわかりませんが、更新された太い元気な枝が株の半分を占めていました。ご自宅には50年近くなる木もあるそうです。更新し続ければそういうことも可能なんですね。バラは水も肥料も好む植物。有機質の肥料も想像以上に 施されていました。即実行!

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2018年

6月

13日

ピンチはチャンス

 6月議会も残り2日、明日は最終日。今日は考案日で予定はなかったのですが、急きょ厚生常任委員会を開催することにしました。

 

 閉会中の所管事務調査の内容を明確にし、これから1年間の厚生常任委員会の活動の結果を出すためのスケジュール編成をします。

 

 3常任委員会(総務・建設・厚生)は議会から提案された議案審議を主にしますが、提案から審議日までにおよそ10日、また付託された審議はその日のうちに結論を出さなければなりません。提案後の調査のための時間的余裕はほとんどないというのが現状です。

 

 予算・決算審査は全員で、毎年5日ほどかけます。提案される事務事業は157。その場では議員間討議は制度上許されていません。したがってその数字の奥にある編成までの道筋を聞き出しそのあり方の論議をするのは現状では不可能に近いのです。

 

 それで毎年同じことが繰り返され、予算がない、否、前例踏襲だという論議に終始し、結果的に何も変わらず議会は何しているんだと議会不要論になる次第です。

 

 そうならないためにどうしたらよいか模索中です。

 

 今、粕屋町の町政は議会も含めてピンチです。

 

 町長の病気療養のための2月の臨時議会・3月の定例議会の欠席。この6月議会には出席されていますが、一般質問の答弁ではちぐはぐな場面があり、また議員の再質問に「病気が治ってから確認、検討します」という応えをされることが多々ありました。

 

 びっくりさせられことが多いのですが、病気だからそうなのか、もともとそういうやり方で物事をあいまいにしておられるのではないか、またそれが許されるのが粕屋町政の体質ではないか。

 

 つまりトップが変わっても議会の力が弱い限り何も変わらない。議会の監視機能が働いていないからだとと考えます。

 

 ピンチはチャンスという言葉があります。このピンチをどう乗り越えるか、チャンスととらえるならそれをどう活かすか?その手立ては?

 

 議会力を高めることが急がれる。ピンチだからこそ、崖っぷちだからこそ踏ん張ってやらなければ。すぐに結果の出ないまどろっこしいやり方のように思えますが、私はそのことへ力を注ぎたい、否、私にはそれしか道がない。

 

 自分の非力さを認めそれを組織の中でどう活かすか、一つの自分に下した決断です。私自身がそう動くことで議会がチームとして強くなり、監視機能・政策提言ができるようになれたらと考えるに至りました。

 

 もっとも同調者を増やさないと何もならない、民主主義は最終的には「数」なので。そしてそこが私の最も弱いところ。さあ、どうしよう? 今日、明日とりあえず、全力を注ぐしかない。頑張ります。

 

 

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2018年

6月

17日

池田前町長の挨拶って?

 6月14日、議会終了後すぐに、1月21日付で退職された池田前副町長が議員控室に「挨拶」に来られました。議会に何の説明もなく退職されたこと、また一般質問で町長の任命責任に対する様々な質問が出たことで町長から要請されたようですが、なぜか私たち議員は池田前副町長に質問できないという条件でした。

 

 それで正式の会で退職されたいきさつをお話していただくのではなく、控室に挨拶だけに来られるということになった次第。この質問なしという条件はどこが出されたのが不明ですが、議会からの問い合わせの要旨は前もって議長がメールをすることになっていました。

 

 が、開口一番、というか最初から最後まで池田前副町長がおっしゃったことは、ご自分の退職日が改ざんされたことへの無念さでした。個人攻撃はしたくない、粕屋町を混乱させたくないということでしたが、内容のほとんどは町政「幹部」への非難でした。

 

 池田前副町長は1月21日に病院に出向いて町長に退職したい旨を伝え、2月1日付での退職を強く希望されたようです。それがいつの間にか1月21日になったことへの憤りがとても大きいように見受けられました。

 

 「このまま仕事を続ければ命が危ないのでやめさせてほしい」と申し出ておらるのに、1月22日から31日までは給食センターとの折衝などの仕事を家で行った、だから2月1日退職は正当なのだと述べられました。ご自分が頑張ったから給食センターの和解金(当初遅延損害金という名目の請求だったのが今回の合意書にはなぜか工事中断費用金となっている)は少なくて済んだ、とまでも。

 

 

 町長は強く残ってくれるように慰留されたようなので、とりあえず休職し、体調を整えて復帰されても良かったのではないでしょうか。なぜ急いで結論を出されたのか、その真意はわかりません。

 

 ただ今回の件で池田前副町長もまた、因町長と同じ病気で前職を早期退職されていたことが判明しました。病気のことは誰よりも詳しいのかもしれません。このことが今回の退職問題の謎を解く大きなカギのように思えます。

 

 因辰美町長を尊敬すると声高らかに謳いあげ、まちづくりの夢を挨拶の度にあらゆる機会でおっしゃっておられた池田前副町長。彼にとっての粕屋町とは一体何だったのでしょうか。

 

 昨年の6月議会に提案された副町長2人制の議案。8対7で可決。私は賛成しました。きっと彼が粕屋町の足りない分を補ってくれる、そう信じて。彼には給料としておよそ900万円、退職金100万円が支払われています。彼がどんな仕事をしたのか、しようとして挫折したのか、いずれわかる日が来ると思いますが、なんとも後味の悪い「挨拶」でした。

 

  

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2018年

6月

21日

一般質問の原稿

 今日21日は議会だより一般質問の原稿締め切り日。あら原稿という、議会での60分間のやり取りを印刷した15ページのものを600字にまとめなくてはならない。

 

 いつも気が重いのだが、今回は特に重い。質問と答弁が私だけではなく、議長が一般質問の期間中何度も指摘したようにかみ合わないのだ。3月議会では「町長が出席していないので答えられない」、6月議会では「検討します、よくなってから確認します、所管に答えさせます」といった答弁や求めたものとは違う内容が目立つ。

 

 もともとはぐらかすための内容が多く、歴代4人の町長と渡り合ってきたが、今回の大元は町長の病気が原因なのでややこしい。議員に当選して53回目の質問になる。こちらも町執行部からの答弁の内容に、現実味を帯びたもの、前向きな内容を引き出せるように心がけているのだが、なかなかスキルアップができない。

 

 私の場合は一般質問、常任委員会・予算・決算特別委員会での審議、そし最終議会の賛成・反対討論の流れで自分の思いを完結させるやり方をとっているのだが、それを時系列に町民の皆さん、職員の皆さんにわかってもらうのは、たやすいことではない。

 

 当の本人の理解の仕方が総合的ではなくしかも論理的ではないなど、不十分なことが多いからだ。それでもその時その時の思いを伝えないと何のために粕屋町議会議員として存在しているのかわからなくなる。

 

 専業主婦としての家計簿記帳、図書館づくり運動の流れで議員となったのだが、社会的な、組織の中で働いた経験がほとんどないことによる能力・力量不足には自分でもほとほと困っている。しかしながらその視点を評価してくれる方もいらっしゃるので頑張るしかない。

 

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2018年

6月

23日

粕屋町にも危険ブロック塀が!

 高槻市の少女死亡事件から粕屋町にも似たような状況はあるかもしれないと思っていましたが、まさかこんなに身近に、しかも同程度に危険な状態があるなんて、だれが想像できたでしょう。

 

 最も地元乙仲東区では前から不安に感じている方があったのでしょう、マスコミに通報されたようで、すぐにマスコミが取材し20日にテレビ報道があったようです。場所は仲原保育所の北側。生活道路に面しています。先には学童保育舎の建物も見えます。

 

 昭和55年ぐらいの建設なのでその当時のやり方でしょうか。支持者からのメールに調査してほしいという内容が入ったので翌21日に聞き取り調査開始。高さはざっと見て路上より3メートル以上あります。

 

 通学路ではないようですが、子どもは通りますし、大人でも怖い。真ん中を歩いても被害にあう恐れがあります。車が通る時は壁側によって歩いている人を見かけました。

 

 ひび割れは平成17年の西方沖の地震の時のものでしょうか。

 

 保育所では以前より危険個所であるという認識はあったようで、歴代の園長はその都度子ども未来課に報告はしていたと聞いています。が、テレビ報道のように「予算がない」で終わっていたのではないでしょうか。

 

 擁壁の上にブロックが7段積み上げられていますが、内側から見ると3段分は保育所の敷地を盛り土した用土があり、ブロック塀だけを改修するというのは不可能のようです。

 

 この一帯は旧仲原小学校の敷地で、私が通っていた旧小学校の正面玄関、体育館跡地に保育所が建設され、その時に盛り土をしてそれを覆うためにブロック塀ができたのではないかと推測します。保育所を壊し、敷地の土を削らないとブロックは扱えない状態です。

 

 結論からいうと保育所を早急に建替えなければならないということではないでしょうか。

 

 しかし今まで、保育所の民営化問題で建替えの話がある時には一度も仲原保育所をという話は出ていませんね。昨年が初めてです。ということはブロック塀の危険の認識度は低かったということになります。

 

 町長は現場を見に来たでしょうか。マスコミ報道は怖いです。早急に対応し、ホームページ、広報でその内容を報告しなければ、再びダメな町として新聞やテレビの報道があるかもしれません。

 

 議会は7月4日の厚生委員会で審議します。もともと昨年から行っている老朽化した2園の補修についてどのような流れで今後行うのかを議題にしていましたので、それに加える形で今回の件を調査・審議します。その内容によっては議会も動きます。

 

 

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2018年

6月

28日

ラジオ体操

 6月25、26日は1泊旅行で別府へ。高校時代の古希を祝う同窓会のスペシャル版でした。同室の友が朝起きてテレビをつけ、ラジオ体操を始めました。その友が言うのに、わずかな年金暮らしなので子どもに迷惑はかけられない、健康第一に心がけている、365日毎日欠かさず励んでいるとのことでした。

 

 「なるほど、お金もかからないし手ごろだ」と他の友と3人で気持ちよく体を動かしました。その後、豊後高田市の昭和の町を散策したときに見つけた右側のポスター。とてもなつかしかった。

 

 帰ってきて毎日友の顔を思い出しながらテレビに向かって体操をしています。おなかに脂肪がついていることと健康のために、今はやりの「カーブス」に通おうかなと思っていましたが、月に6千円は痛い。 これならタダ。

 

 過去の例でマンネリ化し、途中でやめたくなるかもしれませんがその時は、一緒に行ってくださった先生が「健康寿命を延ばすためには、ワクワクする好奇心、感動する心を忘れないで」とお祝いしてくださったことを思い出し、来年の同窓会で報告しようと思っています。

 

 ちなみに祝辞をくださった先生は80歳。私たちよりも若い風貌。好奇心の塊のような方です。

 昭和の町はとても懐かしく、また収集の仕方、展示も含めてもう一度行きたい気持になりました。商店街は実際にお商売をしてあるようで、それがまたすごい。

 

 

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2018年

6月

29日

夢の実現

 昨年、強い願いをもちました。けれどもそれは叶いませんでした。ところが今回急にそれが叶うことに、しかも、もっとも願いに近い形で。

 

 とにかくうれしいです。ワクワクドキドキ、どんな展開になるでしょう?!

 

 関心のある町民の皆さんに参加してもらって少しでも前に進みたい、さらに大きな夢に向かって。

 

 「大きな夢って何ですか」って言われそうですね。それはこの会の報告までのお楽しみです。よろしくね。

 

 

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