2016年

5月

31日

自分の健康増進のためなのに感謝されて・・・?!

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2016年

5月

30日

初めてのパネルディスカッション

 29日夕方、16時30分より18時までサンレイクで議会報告会を開きました。今回の目玉はパネルディスカッションでした。私もパネラーの一人でした。町民の参加者は61名。帰りに皆さんのお顔を拝見すると、どうだったのかな、満足いただけたかなとちょっと心配です。アンケートの結果を見てみないとわかりません。良くも悪くもこれが粕屋町議会の限界かなとも感じています。

 

 私は23ヘクタールの敷地内に4ヘクタールの遺跡保存地域があるので、その保存に粕屋らしさを出すやり方の提案と、それに隣接する形で公共の複合施設建設を提案しました。ほかに4人、その方たちと私の違いは明白。私は夢物語ではなくて現実路線。与えられた条件の中で如何に住民目線のまちづくりを進めるかです。

 

 基本となる開発内容がまだ未定で、だれがどう開発できるのかが明確ではないのです。持ち主は国立大学法人。移設の資金が必要なために売り急いでいますが、スムーズにいっていません。

 

 粕屋町が開発するためには取得費用が必要なのです。その中で遺跡保存の用地取得は国の補助金、それならそれを活かそうというのが私の立場。

 

 こんな制限があることを言えば他の方の夢を壊すことになるから、中途半端なパネラーになってしまいました。

 

 討論の内容提供が不十分でした。できることとできないことが不明瞭なのです。この地にはちょうど真ん中に国の指定を受ける予定の遺跡があり、全体をまとめて考えるのは難しい。広い広いと皆さんおっしゃるが、私にはそうは思えない。

 

 粕屋町に欠けるもの、それは粕屋らしさをどこに求めるかでしょうね。町民のアイデンティティです。駕輿丁という歴史ある地域、その場所、でも現在その歴史再認識するものはほとんどない状態です。その中での昨年来からの、飛鳥時代から奈良時代における政庁跡と正倉群の発見、それを活かさない手はないですね。

 

 それをどうまちづくりに反映するか、でしょう。

 

 それにもう一つ足りないものは、公共施設が一か所に集中しすぎていること、この地に保存地域に隣接して住民サービスを展開できる複合の公共施設を持ってくること。

 

 目新しいものはないのですが、最低これだけは必要ですし、実現するためには今から準備がいります。私の続きは6月の一般質問に、です。

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2016年

5月

26日

パネルディスカッションの準備

 5月29日、各小学校の運動会が終わって粕屋町議会が「議会報告会」を開きます。16時30分より18時まで、サンレイクの多目的室で行います。今までは平日の夜、こちらから予算や決算についての報告をし、参加者の皆さんからの意見や要望を聞くという形式で行っていましたが、今回は新しい試みで、メインはパネルディスカッションです。。

 

 テーマは「九大農場跡地整備計画」。5人のパネラーは、本田、福永議員、太田議員、川口議員、そして中野議員です。

 

 本田は全体23ヘクタールのうちの4ヘクタールを国指定の遺跡保存になるための報告書を調査特別委員会がまとめており、30年には指定される方向で進んでいるので、粕屋町の地域性を活かした保存の在り方を提案するつもりです。

 

 日曜日の夕方で参加しやすい時間帯と思いますので、多くの方の来場を期待し、たくさんの方とディスカッションができたらいいなと準備を進めています。

 

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2016年

5月

24日

最高の粕屋東中学校の体育祭

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2016年

5月

22日

ロサケンティフォリァ

 21日の土曜日、バラサークルのバスツアーでハウステンボスに行き、バラを堪能してきました。私は初めて行きました。

 

 オールドローズガーデンには、マリーアントワネットが愛したバラ、ロサケンティフォリァがありました。ナポレオンの妃のジョセフィーヌが集めたオールドローズの名花です。この花に出会えただけで幸せでした。

 

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2016年

5月

18日

春のバラが終りました

 15日のバラ園のガイドをしたときの写真です。何年か前に久留米の石橋文化センターのバラ園で庭園のガイドツアーに参加してとても興味深かったので、駕与丁バラ園でもできないかなと思っていたところ、今年やっと実現できました。

 

 東屋から回りながら、粕屋町のバラ「粕屋の里」などを紹介し、展望の丘に登り全体を見渡しました。その後バラサミットで植えた各自治体のバラのコーナー、王室ゆかりのバラのコーナーなどを巡り、風車を回ってぐるっと広場を一周しての40分のツアーです。

 

 10時半から始めたのですが、最初はだれもいなくて、たまたまいらっしゃったご夫婦に向かってしゃべっていたらだんだん人が増え、こちらもテンションが上がってきました。

 

 その後バラ苗を買ってくださった方対象の栽培講座の講師なども務め、いつの間にか私はベテランのボランティア風になっていました。

 

 鉢の植え替えをした2月からバラまつりに出品するために5月15日を目指して心を込めてお世話をしました。今年は例年より1週間日程が遅れたので咲き続ける花が持つかどうか心配でしたが、何とか5鉢出品できました。

 

 そのバラも今日花殻摘みをし、2番花に備え、姿を整えるために少し鋏を入れました。明日お礼肥えをします。

 

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2016年

5月

16日

かすや子ども館開館記念式典がありました

 14日の土曜日に開館式典があり、かすや子ども館の館長、工藤龍一氏が記念式典で閉会のことばを述べられました。

 

 今回粕屋町は館長というポストを公募という手法で決めました。初めてのことです。遠くは金沢からの応募もあったなかでの就任です。

 

 粕屋町役場を住民福祉部の部長で退職された後、図書館の館長を務められました。図書館でお目にかかる時はいつも照れくさそうににこやかにしておられ、本庁にいらっしゃる時との差に驚いたのですが、図書館という場所がそうさせるのか、この方の地がそうなのかと不思議な気がしていました。

 

 粕屋町では初めての施設。その運営には難題がいくつもあるでしょう。でもきっとうまく切り抜けてくれるでしょうね、期待しています。

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2016年

5月

14日

子どもの貧困

  昨夜のテレビ報道によると、子どもの貧困率は福岡県は全国第4位。筑豊の産炭地域の状況が主な原因のようだが、それにしても高すぎる。

 

 非正規雇用と連動しているという話だが、女性の雇用の不安定さが大きく影響していると思う。

 

 粕屋町の貧困率というのが出ればもっと具体的に話が進むのだが、そういう統計を出そうという発想が行政にほとんどない。というかそれを補完するのが議会の役目かもしれない。

 

 今日は「かすや子ども館」開館記念式典が行われるが、記念講演があるというのを昨日初めて知った。運営に力を入れてほしいと再三行ってきたが、心もとない。でも子どもの施設ができたということだけでも快挙、とにかく嬉しい。

 

 子どもの置かれている状況を調査できるシステムを作りたい。現状把握をしないことには先に進まないからだ。

 

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2016年

5月

11日

無情の雨

 雨が続きます。バラもいよいよ最後で、今日はバラサークルのお庭拝見で見に来られる方がたくさんの予定ですが・・・・

 残念ですが仕方ありません。

 

 熊本にもこの雨は降っています。避難所、テントの中などでの長期生活、こたえるでしょうね。先に希望があれば、困難は乗り越えられると云われますが、見通しが立たないことが日常になり、そして雨・・・・・

 

 それにしても国や自治体はどうなっているのでしょうか。

 新聞の見出しからです。

 

 震度7続発 想定せず 全都道府県の防災計画

 失われた防災拠点 耐震化の基準甘く、また自治体自己負担額が足りず建て直し困難

 がれき補助 周知せず 被災10市町村「自己負担」広報も

 地震・原発複合災害 不安の声 鹿児島県での震度報道なし

 

 このような中で私たちは情報の取捨選択をし、家族、地域を守らなければならないのです。生活を見直す必要があります。災害と隣り合わせということを心に留めておくことを迫られています。こうした中で議員としてやれること、極めたい。

 

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2016年

5月

09日

ゴールデンウィークが終わった

 新しい年度に入り、すぐに5月の連休。始まったかと思うとすぐに休みに入るので、うっかりしていると何もできずに終わってしまうことが多いのですが、今年はどこにも行かず、バラの手入れ、庭の草取りなど、グリーンフィンガーを目指して頑張りましたよ。 

 

 念願の「図書館通信1号」も図書館に提出できました。よかったら図書館で手に取って読んでくださると嬉しいです。

 

 本当は衣類の整理までやりたかったのですが、時間切れでした。梅雨になる前に枚数の整理をしたいですね。不必要なものまでハンガーにぶら下がっているので迷うことが多いのです。年齢を意識して、明るい色のものを身に着けたいと感じています。

 

 昨年新しく手に入れた明るいバラの写真2枚を紹介します。

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2016年

5月

04日

400年前の地震と今回の熊本の揺れ

 4月25日の毎日新聞、風知草というコラムの記事です。

 

 歴史学者の磯田道史氏の「天災から日本史を読み直す」によればーーーー

1611年、東北で津波を伴う海溝型の慶長三陸沖地震が発生。19年に熊本と大分で、25年には熊本、愛媛、香川、広島でいずれも断層のずれによる大地震が頻発。33年、小田原で直下型大地震が起き、関東に被害が広がった。

25年に熊本地震に関し、長期間、強い余震が続いたことをうかがわせる記録が、熊本藩の古文書に残っているという。400年前、時代の変わり目に連続巨大地震が起きた。というより地震の連鎖が時代を変えたーーーーーー

 

 400年後の今、時代はどう変わるか?予測がつかない。ただ日本という国は本当に地震国なんだと思う。地震や水害などの災害があるのが日常。このような自然の猛威を受け入れながら歴史を積み重ねてきたようだ。ということは原子力発電所はわが国では操業してはならないということではないか。

 

 上の写真はマダム・サチという剣弁高芯の白バラ。熊本地震で亡くなられた方に捧げます。

 

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