岡 信子さん

 この方の壮絶な人生を9日に、生で見、感じました。祝日で、コロナ禍で特別の行事もなく、テレビを見られたことは幸運でした。

 

 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での被爆者代表、岡信子さんの92歳のお姿は信じられないくらい、足取りもしっかりしておられた。地獄を生きてこられた方は、その凄惨さに、その事実を語ることさえできなかったと思われる長い年月。

 

 今やっと語り始められた重い唇から発せられる事実は、驚愕の、まさに丸木俊の「原爆の図」そのものでした。

 

 大阪日本赤十字看護専門学校の看護生として帰郷して受けた自らの被災、うじがわいた足を引きずりながらの看護、終戦後の被爆者として受けた差別、92年間の生活はおそらく言語に絶するものだったでしょう。

 

 しかしながらその声は何と力強い魂の響きを持っていたことでしょう。

 NHKテレビの中継画像です。テレビが見れてよかった。

 

 ニュースの報道だけでは伝わらない臨場感。これからはこの日、この時間、必ずテレビの前に座ろうと思いました。

 

 長崎市長の平和宣言も聞きごたえのあるものでした。「長崎を戦争による最後の被爆地に」。日本政府による核兵器禁止条約の署名・批准を心から願います。