11月2日に自治功労者推奨の儀式があり、本田よしえは粕屋町において第18番目の自治功労者に推奨されました。その条件は4つあるのですが、私の場合は町会議員を15年したことが当てはまるようです。同期の議員は5人いましたが、現在残っているのは私1人。ちょっと寂しい表彰式でした。
同日の毎日新聞の記事を紹介します。加藤英彦という歌人の、「うたの雫」というコーナーの文章です。明快で美しい文章だと思います。
言論の羽ばたく空へ
あってはならない論法が大手を振ってまかり通ろうとするとき、時代は暗鬱な表情を見せる。日本学術会議館員の任命拒否問題は、政治による学問の独立性への明白な侵犯として記録されてよい。
日本学術会議法によれば、会員は日本学術会議の推薦に基づき内閣総理大臣が任命するとされており、この任命は形式的行為に過ぎないとされていた。しかし今回6名の任命拒否については、内閣総理大臣は学術会議の推薦通り任命しなければならない義務はないと従来の見解を翻し、しかもそれは解釈変更ではないと強弁する。任命拒否の理由は人事に関わるとして一切秘匿したままだ。
もし詭弁(きべん)にも巧拙があるとするならば、この稚拙さは何だろう。任命拒否は政権の思惑に反対するものを排除しようとする姿勢が濃厚だが、そこに何の躊躇(ちゅうちょ)も葛藤も感じないとすれば政治の劣化は覆いがたい。不都合なものは隠蔽(いんぺい)し対抗言論は狩るべしとする思想の先にあるのは言論や思想の多様性の死である。いや、ことはそう簡単ではない。政権は弄(もてあそ)ぶ言葉の拙劣さを承知の上で、民衆はすぐに忘れやがてはこの海も凪(な)ぐのだとタカを括っていはしまいか。であれば、私たちはできるだけ国家から自由な空へと羽ばたき、狩られる声を発すべきだろう。
任命拒否撤回を求める声明や抗議行動が学会や法曹界だけでない広がりを見せている。日本ペンクラブは10月8日に、現代歌人教会や日本歌人クラブも26日に抗議声明を発表した。傍観し黙過することは、批判精神の死に加担するとでしかない。
昨日4日に国会中継を見ました。以前学校の先生が、国会中継は子どもたちに見せられないと言っておられたと何かで聞きましたが、まさにその通り。
首相の答弁が棒読み、同じことの繰り返し、人事に関することだから答弁できないの一点張り。危機的状況だと思いました。皆さんはどう感じておられますか?
話は変わりますが、アメリカの大統領選での住民の抗議行動はすごい。どちらの派もです。まさに戦い取るという感じ。民主主義にはこういう側面もあるのかと、いささかびっくり。主張すべき時は主張する。見習わなければ、私たちの国も危うい。