9月12日に自民党総裁選の公開討論会が日本記者クラブ主催で開かれました。
総裁選の候補者にも、各社の記者を代表して質問する質問者のなかにも女性はいませんでした。ただ一人司会者だけが女性だったという現実をどう考えたらいいのでしょうか。
女性の活躍というテーマが与えられても内容が深まらず、翌日13日の朝刊には、そういうテーマがあったことさえ報じられることなく、外交、経済、コロナ対策に政治面も社説も終始していました。
本日、日本の首相が決まります。今朝14日のニュース解説はもう次の人事の話題。主要なポストにおこぼれで女性配置はあるのでしょうか。日本における私たち女性の存在の希薄さを露呈している総裁選です。
13日の毎日新聞の「時代の風」の欄に「継承してはならぬもの」と題して日本総合研究所の首席研究員藻谷浩介氏が述べておられたことが心に残っています。
自民党総裁選で原則とされる党員投票を行わないことに対し、石破候補が「不満を述べた」報道だろう。不満とは感情であり講師の区分で言えば「私」の領域に属する。石橋は「党内民主主義に照らして妥当ではない」と指摘しただけであり、これは感情論ではなく、公的な政策論である。それを「不満」と書いてしまうのは、「公私混同」も甚だしい。「公」の視点のない感情論が、議会内外を埋め尽くした7年8カ月。
民主主義の屋台骨たるべき公論の土俵が腐っていくのを止めずにむしろ助長した姿勢は、後世最も指弾されるべき点であろう。
「公論」は様々な立場の意見が必要です。女性の存在なくしては深まらないと思っています。
首相はすでに内定し、人事もあらかた水面下で了承済みという流れがあるような気がするのですが、日本の政治風土に「女性」の存在はどうなっているのでしょうか。
有権者の半分は女性。投票率は女性の方が高いと結果もあります。その女性に、女性政治家として何を訴えればいいのか、ここ2、3日の私の思いです。
論理的に、しかも訴えやすい内容で多くの女性に換気を促したいと思うのですが、ただそれよりも前に、私のメンタリティを強めることの方が先決と大阪なおみ選手の活躍を見て思いました。
心がブレなければ、いつかその主張は認められるのではないか、いい子ぶってぶれることが多い私自身の反省です。