昨日の14日に選挙公報が届きました。私も夫も期日前投票をしたのでもう見る必要はありませんでしたが、逆に、選んで投票行動をした後なので冷静に「公報」を見ることができました。
若い人がこの公報を見て候補者、政党を選ぶことができるか、はなはだ疑問で心配です。今回は有権者にアピールする仕方を、有権者の生活感に訴える政党が多いような気がします。
生活の具体的な課題への政策に注目が集まって、日常疑問に思っていることへの解決策の羅列が多いと思います。良識の府と言われる参議院選挙なのに、という思いがありますが、これが現実なんですね。
数が問題、数が揃わなければなければ何事も不可能、民主主義は多数決!と呼び掛けている気がします。これでいいのかどうか、それは今後の日本のあり様が示すでしょう。
私自身はまず投票率を高めたいので、とにかく投票所に足を運んでもらうこと、それが第一です。政治は本来暮らしのあり様を決めることからのはず。日常から遠いところにあっても意味がない。一人ひとりの困りごとからの諸問題の打開策を見つけるためのものです。
暮らしをよりよくする、まわりのかかわりのある人を大事にする、そんな暮らしを実現させるための政策を掲げている政党、政治家が当選できれば一番いいのですが。
私が今最も関心があるのは女性の政策決定への参画。どの党がそれを基本に置いているかは重要な決定要因です。そのための情報収集、私なりの広報、アピールをしたいと考えています。
この国ではここ数十年女性は子育て、家事、介護を家庭で行うための中心人物。経済、政治は男の仕事と、政策決定の場には排除されてきました。今でもその現実は変わりません。
世界の潮流から、アジアでも大きく取り残されています。
結婚して47年、その内の33年間はひたすら専業主婦でした。今でも鮮明に心に残っているのは、組合の会計をした時です。すべて私がしているにもかかわらず、名前は世帯主である夫の名前、また今、国民健康保険の支払いが、本人は後期高齢者で課税はないにもかかわらず世帯主であるある夫の名前で請求があります。
家、世帯が中心での一括りです。その方が行政には便利なのでしょう。名前だけのようですが、結局は決定権は夫が持つことになります。もちろん責任も伴いますが。専業主婦の時はそれが当たり前。夫が稼いできたお金を夫の意に沿うようにやりくりしていました。もちろん私の考えもありますが、最後はやはり夫の意向です。
自由があるようでなかった、自分を縛り続けた30数年、それ以前の子どもの時代から女として幸せになるように育てられました。それ故、議員となって自分の報酬が口座に振り込まれた時のうれしさは人一倍のものがありました。
本来、まちづくりが好きでしたので、このまちづくりを中心にした活動でお金が頂ける、ありがたいことです。そんな中での14年。近頃は少しその喜びを忘れていたところがありましたが、同僚の男性のN議員が気づかせてくれました。
再びこの地点、粕屋町から女性のあらゆる場への進出、そしてその半分を占めることができるようなまちづくりを頑張ろうと思っています。
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