ユニバーサルマナー

 素敵な言葉に出会った。ユニバーサルデザインという言葉は知っていたけれど、〇〇〇

マナー?!

 

 赤旗日曜版10月8日号の記事。障がい者が暮らしやすい環境づくりを提案する「ミライロ」で講師を務め、弱者の視点で必要なサポート提案の「岸田ひろ実」さんのことばです。どのくらいその言葉が市民権を得ているのか知りませんがとてもしっくりくる言葉です。

 

 先日このコラムに粕屋町でインクルーシブ保育を経験した障がい者の方の話を載せる時に、その方のお母様に原文を見てもらって許可を頂けるかどうか伺ったのですが、必要以上に力んでいる自分がいました。

 

 「子どもに聞いてみます」。そして、夜電話があって「いいですよ」。夕方4時ぐらいからずーっと待って待ちくたびれてうとうとしているときに電話のベルが「リーーン」。とてもホッとしたのですが、なんだか奇妙。もっとスムーズに、普通にできないか自問しました。そして今日の記事。

 

 岸田ひろみさんのことば

「障害者に求められているのはさりげない配慮。ぜひ『何かお手伝いできることはありますか?』と声をかけてください。一人ひとりの願いや価値観に向き合い、必要なサポートをする。私はそれをユニバーサルマナーと呼んでいます」

 

 なんだか先日の自分のこっけいさに苦笑い。普通にすればよかったんだと。でもこれってむずかしい。経験を積み重ねないと無理だろうな、ぎこちないだろな、インクルーシブ教育を受けていないもんね、とつぶやく今日の私。

 

 でも、明日は違うもんね。

 

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コメント: 2
  • #1

    ゆうじ (土曜日, 07 10月 2017 21:03)

    町民運動会の朝はコンビニで新聞を買って構え時間つぶしとした。 私が新聞を読むのは常に表紙が同じテーマの時で、この日ちょうど良く毎度のことながら全て購入した。 同じテーマでも各社で違いがあるのが面白い。 ところで下記は、何年先の発刊か分からぬ執筆中の一部です。
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    私を導く尊敬の人たち
     本との出会いだけでなく、今年の春から次々に再会や新たに出会う尊敬の人と縁が深い年となっている。 偉大な指揮官であった父を亡くしてからは苦しみから心が乱れていた。その私を地域の人たちが救ってくれた。 この縁は私にとって「地域の人たちと心の菊部隊」という絆。そして、心の菊部隊と共に道を切り開いているが、当時ビルマに造られた苦難の『伐開路』なのかも知れない。父が難局の時どんなにつらく苦しくても「兵隊さんの苦労に比べれば、どーもなか」(なんともない)と人生を乗り越え、死の直前まで言い続けたこの言葉を私も人生の終わりまで連れて行こうと思った。
     緬甸(ビルマ)の人々を伯父たち菊部隊が大切にしていた事実が、実りの秋の最大の収穫でありました。 昨夜は美しかった中秋の名月、本日は大安吉日。この昭和への旅へ導いたのが、ビルマの民衆と融和して過ごした伯父、戦後も博多港の開発に尽力した祖父それを助けた祖母、家庭菜園にしては広すぎる畑で菊部隊を実践し私に引き継いだ父であった。
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    コピペ手抜きで申し訳ありません。

  • #2

    ゆうじ (日曜日, 08 10月 2017 21:14)

    岸田ひろ実さんをネットで検索・・・、知れば知るほど共感。 気が付けば涙が流れていました。