毎日新聞の3月13日の朝刊「余禄」の内容があまりにも私の気持にぴったりでしたので抜粋して載せます。
『あろうことか君は進路指導の後に自ら命を絶ってしまった。担任の教師は廊下での立ち話で非行記録のために志望高校への推薦ができないことを生徒に告げた。生徒が初めて向かい合った「社会」が身に覚えのない非行記録、理不尽な進路指導、画一的な推薦制度だったのならば絶望の深さは察するに余りある。
ただ悲しく残念なのはこれから未来へと枝分かれしていくすべての道を生徒身が自ら断ち切ってしまったことである。大人への道に立ちふさがる迷路や袋小路には愚かしい過失や怠慢によってもたらされたものもある。そこで苦しむ少年少女はどうか声を上げてほしい。声を聴きつける元少年少女は必ずいるはずだ。』
中学校1年の時の大人の過ちが訂正されないまま2年経ち、彼の人生の前に大きく立ちふさがった。そして彼はその壁の暑さに絶望してしまった。わずかな光も見いだせなかったのだろうか。悔やまれてならない。私は元少女としてこのような問題が粕屋町で起きることのないように力を尽くしたいと思っているのです。
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