不安の種

 私にとっての自分自身に対する不安、気がかりで最も大きかったのは「家族」でした。

 

 まず母。 現在、認知症がかなり進んでいます。大方の場合、認知症が進むことに周りの家族は強い懸念をいだきます。私たちもそうでした。ところが彼女にあったデイサービスのケアを受けると、とても朗らかになりました。

 

 あれはだめ、これはだめっと言って家族にも強要(?)していた母がなんにでも

 

 「ハイハイ、ハーイ、ハイ」

 

と、とても明るいのです。そばにいるのが苦痛だったのに、今では面白いと感じています。もっともこれは弟夫婦の手厚い介護ケアによるものが大きいのですが。

 

 母のそばにいることが負担でなくなった時、私の心は少しづつ解放されていくような心地よさを感じるようになりました。

 

 周りのすべてが余裕を持ってみられるようになり、こだわっていたいろんな事が、いいんじゃない、って思えるようになったから不思議です。

 

 これは連れ合いや子どもにも言え、特に娘との関係が改善されたのには大きな収穫でした。彼女を丸ごと受け止める心の準備ができたのかなとも感じています。

 

 ところが昨日書いたように、以前のような「熱い」思いが消えゆくようなそんな危うさも同居しています。なぜならその「熱さ」は私の町会議員としての原動力だったからです。

 

 多分それは本物ではなかったのではないか、そんな声が少しづつ強くなってきています。

 

 じゃー、今後どうやって仕事に向き合うの? そう、そこが問題です。

 

 でも、以前のように自分を煽り立てなくても、私には私の生きる道が用意されているのだからと、心の中、身近なところを見つめ直しています。

 

 11月には66歳。いい大人になれそうな予感がしています。