「愛国心があるからこその反戦さ」

 本日の毎日新聞に、浜矩子氏が書かれた「愛国と反戦、国民と国家、この二つの重要な関係」という記事に共鳴しています。

 

 13日付けの同新聞から二つの示唆を得たとして、①1面の万能川柳「愛国心あるからこその反戦さ」、②3面の「水説、民はどこへ」にヒントを得ながら彼女独自の世界を展開しています。その視点のさわやかなこと!

 

 毎日新聞の「水説」の記事は、安倍首相の広島と長崎の原爆の日に際して行われた挨拶が昨年とほとんど同じだった(それも大きな問題)。が、それ以上に気になるところがある。唯一の、戦争被爆国民の責務が、→ 核兵器の惨禍を体験した我が国には責務がとなっている、核なき世界を目指す主語が「国民」から「国」になって、「民」が消え国家が前面に出たという内容だった。

 

 その内容に対して彼女は由々しき問題、と強く嘆いている。

 国家は国民のために働く装置だ。主体はあくまでも国民だ。かりそめにも国家のために国民がいるなどと考えてはならない。ところが原爆の日の式典という最大級に厳粛な場面で首相の挨拶から国民が追い出され、変わって国家が主体の座に座った。こんなことは国民国家の政策責任者においてルール違反なのではないか。

 愛国とは国民が国家に奉仕することではない。愛国は反戦の誓いだ、その誓いの主体は、あくまでも国民だ。

 

 力強い論調です。昨年来、なんとなくもやもやしたものがすっきり。来年は戦後70年の節目の年。これから1年間の私の指針となる記事に出会ったことを心から感謝したい。

 

 川柳をもう一度  愛国心があるからこその反戦さ 浜松 よんば

 作者のさわやかなセンスをたたえつつ、浜氏は追加して、自分の魂から憎しみを追放できてこそ、真の愛国者になれる。憎しみを内に抱いた愛国心がぶつかり合えば、そこには殺し合いが発生する、反戦の決意に裏打ちされていればこそ、愛国心と愛国心はぶつかり合うことがない、と。

 

 日本と韓国、中国との昨今の関係悪化は、内にに憎しみをいだいた愛国心のぶつかりではないか、もちろんこちら側だけでなく相手国の人々にも言える。冷静さが必要だ。その冷静さには、人類愛と、争いを憎む気持ちと、正確な情報が必要だ。

 

 あふれる情報に惑わされることなく、そして自分が正しいと思ったことはきちんと発信していこう、またそれができる立場に今、私はいる。